前回、戦前のご近所マップの話の中に出てきた−
十亀が戦後のどさくさで現在の土地を手に入れるまで、向かいに住んでいたのは知らなかったなぁ。
戦後、サカエが三浦のおトラばあさんに騙されて何らかの書類にハンコを押してしまい、100日以内にお金を用意しないと土地を取られてしまう、などという、とんでもない詐欺めいた事に巻き込まれた話は、また今度、ちゃんと聞いておきます。 |
−な話をミツに聞いてきました。
戦前のご近所。
灰色の部分は「平岡」さんの所有する土地でした。
三浦一族は借地住まいなのでした。
戦中。空襲でここら一体は焼失。
十亀はウチの向かいに住んでいましたが、同じく戦災で焼け出されてしまいます。
戦後。
疎開から戻ったサカエらは苦労して家を建て、住み始めます。
(これが、現在の錦家の原型となりました、っていうか、ほとんどそのまま)
隣の一春はしばらくの間、バラック小屋住まいでした。
そのまた隣、残り東2軒分の土地に十亀が、平岡さんに無断で家を建て始めてしまいます。
そのことを不審に思ったサカエが平岡さん宅へ話を聞きに向かった時のこと。
石手川の橋の上でおトラばあさんと出会います−
おトラばあさんについて。
一春の母親で、権八とは子連れ(シンタロウ)再婚した人です。
戦後間もなく、近所の空き地に勝手に畑を造り、取れた芋を結構な値段で売ったり、裏口でこっそり麻薬を売買したり、良く言えば商魂逞しい人です。
十亀 |
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トウザブロウ |
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┣ |
タケ |
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シンタロウ |
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トラ |
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┣━━━━ |
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キヨシ |
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三浦権八 |
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一春 |
家系図で見るとよく分かりますが、おトラは、実は十亀の娘。
十亀のトウザブロウ、タケ兄弟もよからぬ事でお金を儲けていたようです。
家を建て始めた事を平岡さんに話されてはまずいトラ。
石手川の橋の上での詳細は分かりませんが、結局、サカエは引き返しました。
ミツ曰く、土地を借りたとか、許して貰ったとか、そんな嘘をついてサカエを欺いたとの事でした。
十亀は家を建ててしまったもん勝ちとでも思っていたのでしょうか。
でも、結局はバレてしまいます。
平岡さんと揉めます。
怒り心頭の平岡さん、
「100日以内に土地を買え! 出来んかったら出て行って貰う!!」
4軒の土地の3軒分までが十亀の息がかかっていましたから、4軒分、すべて買え!となったのでした。
一蓮托生というか、連帯責任というか、とうとう、ウチまでも巻き込まれてしまいました。
当時、ウチよりは裕福だった十亀ですが、
「土地を買えと平岡に言われたからそうするが、お前んとこもこの先も住みたかったら、金払って自分のものにせぇ」
トウザブロウやトラが連日怒鳴り込んで来たそうです。
十亀の誰かが子宮ガンだから家を建てたとか、泣きついたりもあったそうです。
結局、100日以内に金を揃えて買い取るということに同意。
散々苦労して金策に走り回った結果、土地はウチのものとなり、今日に至ります。
こんな事でもなければ、もしかしたら未だに借地暮らしか、もしかしたらいずれ引っ越しを余儀なくされていたかもしれないと思うと、結果論的にはまぁ、良かったのかな?
その後、十亀のトウザブロウは、戦前に三浦がブリキ業の作業場所のあった同じ場所でブリキ屋を始めます。
引き継いだのか、修行していたのか、その辺りはよく分かりません。
子供の頃、毎日のように聞いた、ブリキを叩いて曲げるあのリズミカルなトンテンカン、トンテンカンがとても懐かしく思い出されます。
子供の頃、オープンしたまつちかタウンへみんなで出かけた際、銀天街で僕と麻が迷子になったことがありました。
僕は道を覚えていたので、家へ帰りましたが、ミツや徳は放送かけて貰ったり、それはもう慌てたそうです。
当時、ウチには電話が無くて、持っていたのは十亀のブリキ屋さん。
十亀から呼び出され、僕らが家に帰っていると聞いてホッとしたミツたちなのでした。
そういえば、ブリキ屋の兄ちゃんに向かいにあったお寿司屋さんでおごって貰ったこともあったなぁ。
ルイさんの息子だったと思うけど、あの人も酒が好きだったから、早くに亡くなってしまいました。
ついでに。
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大工 |
石田 |
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うどん屋 |
ウチ |
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道 |
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道 |
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道 |
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タバコ屋 |
散髪屋 |
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道 |
唐人町郵便局への斜めの道が作表じゃ書けなくて┗ってなってますけど、許してね。
戦後の地図です。
ウチの隣は元、うどん屋がありました。
当時、池内はたばこ屋の隣で散髪屋。
灰色の部分は近藤っていう人の土地でした。
その後、土地を買い、ウチの隣で再び散髪屋を営みました。
「オナカ」という店名はとても懐かしい響きがします。
オナカで働いていた女の人は、勝山町を渡った先で現在も散髪屋さんをしています。
散髪屋を辞めた後、賃貸し、スナックが開業。
眩しいスポットライトライトと真夜中まで続いた騒音のせいで眠れない恨めしい日々が続きましたね。
石田の西隣、角の家は大工さんが住んでいて、ウチの家もこの人が手がけたものだそうです。
子供の頃、池内の隣に3軒の賃貸がありました。 入った店入った店、見事にすぐ潰れちゃったけど。 僕はよく、そのうちの一軒の雑貨屋さんに出入りしていました。 クジャクの羽とか変なアクセサリーとか売っていて、最近よく見かける東南アジアや中近東のグッズを扱う店の先駆けみたいなお店でした。 店の真ん中に燭台があって、溶けたロウソクの固まりがタワー状にそびえていました。 いわゆるヒッピーが経営していました。 誰か、覚えてないかなぁ?
おまけ。
伸の話。
旭町の「としだ」のうどん屋の向かいに「ひかり屋」っていう、子供向けのお店がありました。
ミツ曰く、伸は買い物に行くと、店のおばさんに先にお金を渡してしまうそうで。
意地悪?なひかり屋のおばさんは子供なのをいいことに、お金を貰ってないと嘘をつき、伸が泣いて帰ってきたこともあったそうです。
別のお店ですが、今度は義、博の話。
子供だから“お金を払う”ということが分かってなかったようで。
ちょくちょく、お店からお菓子を持って帰って来てたそうです。
ミツは後々それを耳にして、慌ててお店に代金を払い、義、博にお金を払って買うんよと、教えたそうな。
良い時代だなぁ。
以上、またまた、役に立たない話でした。
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