錦町の歩道の美化工事が来年辺りに始まります。
今日は歩道と家との境界線確定の確認作業がありました。
市役所から職員が数名、ご近所も総出。
三浦のヒサコ、一美も来。
ウチは昔っから相変わらずで、全然問題なし。
「相変わらず」というのは、道幅4mの歩道が整備されたときのまんまということです。
両隣はブロック塀など、後付分が数センチはみ出しています。
ウチや十亀は逆に数センチ引っ込んでます。
だから工事には全然支障なし。
とっとと確認書にサインして終了しました。
さて。
ミツは2階からその様子を眺めてました。
また、昔話になったので、ちょっとだけ“φ('(ェ)'*)゛ メモメモ。
戦前のご近所のこと。
ダーク、無し。
話の発端は、ミツが梅木地蔵さんのお堂を覗くお賽銭泥棒?の姿を見たって話からでした。
「昔、お地蔵さんはウチの斜め向かいにもあって…」
という初耳な話でした。
戦前のご近所マップ
富谷
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お堂 |
香川
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香川
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道
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(上の)
十亀
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(ブリキ屋の)
十亀
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谷口
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−−−−−−−道路−−−−−−− |

紅谷 |

山田 |

西原 |
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道
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三浦
(照) |

三浦
ブリキ作業場 |

三浦
(一春) |

三宅 |
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−−−−−−−道−−−−−−− |
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慈恵会
(寮) |

金並 |
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道
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谷口 |

竹内 |
鈴木
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堂本
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慈恵会 |
戦前の様子です。
ウチの前の道は今の半分ほどの道幅しかなかったそうです。
拡幅されたのは戦後で、当時、松山でも結構広い方の道だったそうです。
ウチの横に三浦(一春系)が住んでいましたが、そのまた隣でブリキ作業場を持っていたというのは初めて聞きました。
そのまた隣、現在・十亀の場所に、照が家を借りて住んでいました。
一帯の土地は『平岡』なる人の土地でした。
十亀は向かいに住んでたそうです。
今・駐車場、ひと昔前・箱助の場所は、慈恵会と呼ばれる団体。
現在壁がある道寄りの部分に、谷口、堂本などの家がありました。
金並は食堂などを営んでいたそうです。
山田、西原は、昔、デュエットのあった場所。
紅谷も、古くから住んでいました。
十亀が戦後のどさくさで現在の土地を手に入れるまで、向かいに住んでいたのは知らなかったなぁ。
戦後、サカエが三浦のおトラばあさんに騙されて何らかの書類にハンコを押してしまい、100日以内にお金を用意しないと土地を取られてしまう、などという、とんでもない詐欺めいた事に巻き込まれた話は、また今度、ちゃんと聞いておきます。
以上、役に立たない話でした。
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