平成18年5月22日 天気:

黒藤川へ

愛媛と高知の県境にあるお山、中津明神山(1541m)へ、山登りに行ってきました。
昔から行きたくてしょーがなかったお山でしたけど、なにせ、遠いものでずっと行きそびれてました。
スクーター・ツーリングもこの頃さぼり気味だし。
そのくせ、同じくらい遠い四国カルストや石鎚にはホイホイ行っちゃうんだけどねぇ。
最大の問題は実は国道33号線にありました。
佐賀で事故して以来、国道って奴が正直怖いのでした。
トラックとか、クラクション鳴らす車とか、追い越せず、ぐずぐず後ろを付いてくる女性ドライバーとか、怖いのよ〜。
なので、うんと早起きして、夜明けと共に出発。
交通量の少ないウチに33号線を駆け抜けることに。


そんなこんなで、 無事、登頂。
えっと、お山の写真は「写真蔵」で見て下さいね。

本題は、帰りに寄った黒藤川。

中津明神山山頂から見た黒藤川集落です。
左のV字谷の先にあるのがそうです。
中岡の家もよーく見ると白い点になって見えてます。
※マウス・カーソルを写真に乗せると、家の場所を矢印表示します。
家の後ろにそびえる山の裏に仕七川という集落があります。
久万から面河・石鎚へ向かうと途中に必ず通る集落です。
仕七川は、サカエの妹が嫁いだ先で、照がちょっかいだしてた女の子が住んでたのも仕七川。
照が子供の頃、その仕七川からその山を越え、サカエと手を繋いで歩いて帰ってきたことがあると言っていました。
昔の人にはこんな山越えなんて朝飯前だったんでしょうね。

さて。
以前も紹介したんですけど、ちょっと物足りないかと思って、写真を撮りに行きました。

でも、でも、でも!
こんな時に限って、で、電池切れ!!!
おまけに、山頂でパノラマ写真用に同じカットを何枚も撮ったせいで、メモリ・カードもいっぱい!
上手くいかないもんです。

高知側から 松山側から

国道33号線から、面河川に向かって下る、美川川内線へ。
写真に写っているお店は昔からあるそうです。
なにやら、昔はとてもお金持ちだったらしく、ミツいわく、『雨樋で鯉を飼っていた』なんて話があったらしいです。
樋に鯉を放してどーするんだって感じですけど、お大尽遊びってやつですかね。

中津大橋を渡ります。
昔からこの場所に橋があったそうです。

斜面を大回りして高度を稼ぎます。
道の回りは田んぼや田舎っぽい家ばかり。
玄関の戸も開けっ放しだし、のんびりしてます。

この小屋の所で右折。
県道を真っ直ぐ行くと、妖怪ぬえの棲む赤蔵ヶ池(あぞがいけ)。
で、一山超えて仕七川です。
今は通行止めになってるようですけど。

以前も紹介した宮木さんち。
右手奥に写っている山はさっき登って来た中津明神山です。
左の杉林の裏に中岡家があります。

お茶畑の上にある家がそうです。
お茶畑は多分、誰かに貸してるんだと思います。

この小径をあがります。
照はふーふー言って登りました。
ミツにはもう無理でしょう。

家までの間にじゃがいもがいっぱい育ってました。
じゃがいもなら放っといても収穫できるから、かな?

これは多分、紙幣の原材料になるミツマタを茹でてた釜だと思います。
照やミツの思い出話にもミツマタは登場します。
現在でも、久万や美川ではミツマタの畑があちこちに見られます。

ちょっと痛い話を。
ミツが2度目にここを訪れたときのことだそうです。
時は戦後すぐ。
夕食はとうもろこしを挽いた粉を混ぜたご飯が夕食だったそうです。
この家に住んでいたのは、サカエの父・竹之進、妻・ヒサヨ、サカエの妹・茂美の三人。
竹之進が山から収穫してきたミツマタを切り揃えていた時のことでした。
ばすっ!
な、なんと!
親指を切り落としてしまったんだそうな!!!
 た、大変じゃ!!
で、竹之進はどーしたかというと、
ミツマタの中から親指を見つけ、ぎゅーっとくっつけたらしい!
当時のことですから病院へは行かず、包帯でぐるぐる巻きして、それでなんとか治してしまったらしい!!
完治ではないにしろ、親指はくっついたんだから、トカゲの尻尾並の凄い生命力!

お風呂側。 奥側。

五右衛門風呂用の薪が積んでありました。 竹で作った縁側。
気持ちよさそう。

カーテンも閉じられ、玄関も鍵がかかってました。
やっぱり、誰も住んでないみたいです。

家から見える中津明神山。

以上でデジカメのメモリ・カードの残量ゼロになりました。
慌てて買った電池が、一体いつから店頭にあったんだ!?ってなくらい自己放電してたのか、使えない電池で、こちらも残量ゼロでした。
おまけに、スクーターの燃料も松山までぎりぎり。
今度はもちっと余裕持って来るぞ!
山上にある、妖怪ぬえの棲むという赤蔵ヶ池にも行きたいし。

いつか泊まってみたい、山の家でした。

メモ書きへ戻る→