平成17年7月17日 天気:

四国カルストと黒藤川の西岡家へ

まずは地理的データから。

松山−四国カルスト

車で片道約2時間
国道33号線柳谷から国道440号線へ
地芳峠手前を右折すると大野ヶ原
地芳峠左折で姫鶴平、天狗高原
尾根筋の四国カルスト公園線終端に天狗荘
黒藤川

国道33号線柳谷手前、中津大橋渡る
西岡家は橋から車で10分ほど
丁字路を右折し、1,2分
道路から15mほど小径を登る

 照を四国カルストへご案内。

 尾根伝いの細道が車でびっしりです。

3連休の中日&カルスト・マラソン大会開催&ここ数週間、週末ずっと雨だった=四国カルスト大混雑。
標高1400mに位置するとは思えないくらいの沢山の車と人の姿。
もう十数回訪れてるけど、こんな混み混みした光景を見たのは初めて。
 (×(ェ)×)

 食事に立ち寄った宿泊施設・天狗荘。

 団体客がバスで乗り付け、大混雑。

食堂でおそばを注文。
でも、この混雑。
団体客は別室に用意されているようです。
団体の配膳やら、慣れないスタッフはてんやわんや。
僕が頼んだお蕎麦が厨房のカウンターにできあがってるのが見えてましたけど、気づかないのかテーブルになかなか持ってきてくれないよー。
うーん、のびちゃう
 (>(ェ)<)
一方、厨房に背を向けて座ってる照はビール飲んでご機嫌のご様子
 (^(з)^)カンパーイ気分!
僕は飲むわけにいかないので、やっときたおそばをあっという間に完食。

照を残し、写真を撮りに外へ出ました。

 いまひとつの曇り空。

 牛ちゃんは雲行きも渋滞もおかまいなし。

  写真を撮り終えて戻ると、ロビーで照はご機嫌に一服中  (-。-)y-゜゜


小田池川林道を下り、帰路へ。

以前から、サカエばあちゃんの里−黒藤川へ照を連れて行きたかったんだけど、
今日も「寄らんでええぞ」と、往きに言ってたから素通りするかと思ったら、33号線に出たらすぐ、
「ちょっと、寄ってみいや」。
あいよ! 了解!
喜んで向かいました。
黒藤川は柳谷から少し戻ったところ。
右カーブにある商店の裏にかかる中津大橋を渡った対岸です。
十数年前、僕はひとり、訪ねたことがありました。


ばあちゃん方の中岡家/西岡家の墓を探しに行ったのでした。
目指す西岡家には、いろんな人に訊いて回ってやっとたどり着きました。
ハラアカイモリがうようよいた田んぼのあぜ道の先に西岡家がありました。
笑顔も優しげな茂美さんが出迎えてくれました。
「泊まってくかえ?」
と言ってくれたましたが、辞退して帰りました。
結局、茂美さんもお墓の場所は分からなかったので、墓地のお墓みんなにお線香をあげて帰りました。


あれから、ずっと来てません。
車をいくら走らせても、それらしい場所になかなかたどり着きません。
照もうろおぼえ。
唯一、僕の記憶にあった急斜面に墓石が立ち並ぶ墓地が見つかりました。
その先にある丁字路を曲がろうとしたのですが、
「まっすぐ行け!」と、照が言うので、通過。
けれど、すぐに民家もまばらに。
やがて人家も無い森の中へ車はどんどん入っていくのでした。

照は、戦前戦後、木材の仕事をしていました。
当時は西岡家にはよくお世話になっていたそうです。
昔は、「対岸(現在の国道33号線)から(西岡の)家の屋根が見えた」とぽつり。
だったら、行き過ぎじゃあ…。
 ( ̄(ェ) ̄:)
「橋からまっすぐ山道を登って、すぐやった」とも。
だから、行き過ぎてるってば!
 (▼(ェ)▼)

「この先に長崎って所があって、そこから山を越えると仕七川(しながわ)じゃ」
材木の仕事をしてた当時は、この辺りの山を歩き回っていたらしいです。
車がなかった(あっても木炭車の)時代の話とはいえ、恐るべき健脚ぶりが次々と披露されます。
例えば、「窪川で列車を降りて四万十川沿いに歩いて口屋内まで行った」という話を地図で確認したら、約70キロ!
おまけに、夜這いの話も出てきます。
夜這いなんて江戸時代かそこらの話と思ってたので、驚いてしまいます。

ホントは昔歩いた山道を見たかっただけかもしれません。
結構、車を走らせてようやく、「引き返そう」という言葉が出てUターンしました。
先の覚えのある丁字路へ戻り、左折。
見覚えがあったのは最初のうちで、すぐに舗装も真新しい道に変わりました。
もう、僕の記憶の風景からはかなりズレていました。
僕が初めて訪れたときは田んぼのあぜ道を通ってでしか西岡の家にたどり着けませんでした。
その田んぼもなんだか見当たりません。
こまったなー、と思っていたら、照レーダーが見覚えのある家を見つけました。

僕が前に来たときはこんな道、ありませんでした。
いまいち、確信が持てないらしく、「車を降りて人に訊いてこようか?」と言ってみますが、
「ちょっと見に来ただけ」とそっけない。
でも、「ちょっと探してくる」と、行き止まりで車を降りて、畑の間を歩いて探し回ってみました。
そんな僕の様子を見てか、照も気が変わってきたようで、近くの農家のおばあさんに声をかけました。
そしたら、やっぱり、照レーダーの反応した農家は知り合い(遠い親戚)の宮城武雄さん宅と、あっさり判明しました。
でも、西岡さんはずっと前に松山へ出てしまい、家は無人、とのことでした。

宮城さんとの再会を照が楽しんでる間に西岡の家を探しましたが分かりません。
「上のうちがそうよ」と教えてくれた上の方に「家の前に田んぼがあって…」っていう昔の記憶に合致する家がありません。
もう一度よーく訊いたら分かりました。
あれは違うと、除外してた、真新しい道上にある農家がそうでした。
よくよく訊いたら、車で上がってきた道はここ2,3年でできた道で、以来、景色も変わったそうで、思い出と食い違うのも止むを得ない状況なのでした。
「今日は片付けに茂美さん、帰ってきとる」
と、嬉しいニュースを聞いたので、急いで向かいました。

 小径を十数メートル登るとその家がありました。

家の前にあった田んぼはもうありませんでした。
布団が干してあったり、家中の窓や戸が開いてて、風呂場の薪にも火がついていました。
家の裏で声がしたので覗いてみると、いらっしゃいました。
土手の草取りをみんなでしてました。
「松山の三宅」といってもピンと来ない感じだったので、「三浦の…」というと分かってくれました。
ガンガンと草取ってた人が茂美さんでした。
話を聞くと90歳(数え)。
年下の照やミツ子おばちゃんよりずっと元気!
今日はホントにたまたま、家の周りの草取ったり、片付けのために1泊の予定で帰ってきただけだったそうで、ラッキーでした。
十数年前に僕が訪ねてきたことも憶えてくれていました。
一緒に草取りしているのは娘の初美さんとヒロミさんのようです。
小学生の女の子がひとり。
ひ孫さんだって。
年寄り照はおばさんよりヨボヨボだから多分上がって来れないよ、なんて言って帰ろうとしたら、照、ふーふーいわしながら上がってきました。
「見るだけだから」なんて言ってたのに、やっぱり、会いたくなったんですね。

 縁側でしばし思い出話。

 ご機嫌さん。

  どこが90歳!?

サカエばあちゃんの妹に当たる福美さんは2,3年前に102歳で亡くなられたそうです。
なんて長寿なDNA!
「今日会えなんだら一生会わずじまいじゃった」と、茂美さん。
正直、その通り。
僕も運良く再会できて嬉しかったです。

30分ほど再会を楽しんだ後、山を下りました。

いいドライブでした。

黒藤川の写真をもっと撮りたいので、近々、また寄ってみよう、と思う僕なのでした。

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