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未公開当時のページからコピペしてきた散文状態です。

お接待の国・四国なのに

四国にはもてなしの心、「お接待」が現代でも息づく素晴らしい国です。
遍路をしていると、それは峠を前にそっと置かれた杖であったり、
様々な形の心づくしを旅先でよく見かけます。

毎年、数百人分もの草餅をお遍路さんに配る奇特なおばさんがいます。
「みかん、もっておいき(持って行きなさい)」と、
袋にどっさり入ったみかんを行く先々で頂いた話。
おにぎりやジュース、時にはバス代、
自分が参れない代わりにお賽銭をあげといてと少額を手渡されたり…。
直接的なこともあれば、
無事に歩けるようにと山中を抜ける遍路道の草刈りや倒木の片付け、
木陰のベンチや辻辻で見かける案内板を整備したりと、
お接待の姿は様々です。

お接待は尊いものです。
他人を想う優しさから生まれる無償の行為であり、はなから見返りも求めない、
困っているお遍路さんに手をさしのべるのは人として当然ですが、
この先、困るだろうと見越して手をさしのべるのもお接待です。
“ボランティア”と似ていますが、例えば外国人に対して「命日」とか、ふさわしくないように、
お接待とボランティアは少し違うように思います。

過去に受けたお接待が有り難く忘れられなくて、その恩返しにとお接待を始めた人もいらっしゃいます。
旅路で受けた感謝の念は深く心に残るのでしょう、受けた優しさは失われることはありません。
旅を終えると、今度はお接待する側になります。
お接待する心が巡り巡る-、なんと美しい連鎖でしょうか。

四国人は、別にお遍路さんではなくても、旅人には優しいお国柄です。
例えば、県外ナンバーのドライバーが地図を広げてたり、
旅行ガイドブックを手にキョロキョロしている観光客を見かけてしまうと、
つい、おせっかい根性の火も着いて、訊かれる前から「どうしました?」と声を掛けたくなってしまいます。

“お接待DNA”

もともと日本人が持っていた優しい遺伝子が四国人にはまだまだたくさん繋がっているのかもしれません。
けれど、遍路旅はいいことばかりではありません。

アスファルト舗装だらけで情緒もなにもない遍路道。
山道でも平気で高速で真横をすり抜ける四国の車たち。
宿坊で相部屋になった人の大いびき。

お遍路さんたちは意外にも、お寺で不愉快になることも多いようです。
広く空いてる駐車場に駐車しようとしたら、「檀家以外は停めるな」と高飛車に言われ、
足の悪い年寄りがいると説明したけれど、「それがどうした?」とばかりに、遠くの駐車場へ移動を余儀なくされたとか、
(駐車場も有料な所が多いですね)
宿坊の布団が臭いとか、
精進料理という名の手抜き料理、
山門で雨宿りしていたら閉門時間だからと追い払われた、
納経がヘタクソ、
ガムを噛みながら書く、携帯メールを気にしながら書く、
などなど。

旅で疲れた体には、
お接待の優しさが心底、ぐいっと染み入るように、
ささいな不愉快がとげとげしく感じてしまうことがあります。

そんな時私は、

仏様やお大師さんに手を合わせてるんだ、坊主にじゃないんぞ!

八十八ヶ寺を世界遺産に登録しようなんて、千年早いんじゃ!

と、心の中で叫びます。
世間知らずのボンボンのまま、お寺を継いだ住職などに口答えしてもムダですから。
でも、よくよく考えると、イヤなことはみんな、人。

道や空や風はいつだって優しい。

遍路道で出会う厳しい登り坂、土砂降る雨や、じりじり肌を焼く灼熱の太陽、読経が震えるほどの冷たい北風が、
どんなに遍路をいじめても、
そこにはウラがないから、素直に受け入れられる。

お寺や遍路道でイヤなことに出会って、道中ずっとイライラしてる時って、
案外、ホントのホントの自分と会話ができてるんじゃないかな?
お四国を何周回ったって、人生に答えなんて見つかりません。

答えは、すでに、あなたの中にあります。

あなたは、その答えを受け入れられないでいるだけです。

頑固な心が降参するまで歩く。

それもひとつの遍路のカタチ。

さあ、歩き出しましょう。